私の兄!!

時々、このブログに顔を出すが

今は、特別養護老人ホームで生活保護を受けて生活している

母の13回忌には、長女のT橋まさえが出席してくれた

そして、帰りに老人ホームを訪ねて報告したと言う

その報告を静かに聞いて涙を流していたという

兄も昭和10年生れだから、76歳になる

74歳で借家で倒れて、順天堂大学病院に救急搬送され

ほぼ、1ヶ月意識が戻らなかった

胃からチューブで栄養を入れ、もう駄目かと思っていたが

目を覚ましたら、すっかり元気になり、あの1ヶ月は分かっていて仮病を使っていたでは無いのと我々は疑った位である

それ以来、車椅子で色々な病院を転々として、今調布にいる

我が家の長男坊で、生まれて直ぐに父の姉の嫁ぎ先で、母の叔父に当たる家に養子に行った

太平洋戦争が始まる前、この叔父はA硝子の社長で、それはそれはリッチだった

しかし、跡継ぎが居ず内の兄が入ったが

その生活は、一人に4人ものお付きがついて、洋服にも自分で手を通したことがなかった言う

小さい頃の写真をみると

陸軍の軍服を着たものとか、水兵とか、海軍の軍服、羽織袴と言った金に糸目を付けない豪華な物ばかりであった

そんなお殿様のような幼少の生活を送ったことが彼の人生を狂わした

大人になっても全ては自分を中心に回っている

自分の思い通りにならないことはないと思っていて

その上、中途半端に頭が良く、財産もかなりあった

そんな人間を悪い奴らは目を付けたら離しはしない

大学時代の悪い仲間と会社を起こし、煽てられれば幾らでも財産を金に変えてくる

社長社長と煽てながら、新宿に30店以上のサービス業を展開し

次から次へと銀行から借金、銀行が貸さなくなると街金から融通

金利は金利を呼び、数年で家屋敷が担保に入り

その後、私の家の財産にも手を出し、結局これも全て担保にいれ

2つの家の財産を食い潰して、その上昭和の45年当時で数億の借金を作ってキャンピングカーで家族を乗せて逃走

色々なところを転々として、最後に帯広の池田町に空き家を見つけ、これを私が購入

ここで畑を耕して4~5年過ごした

この池田町は大変良い処で私の家族も夏休みなどに遊びに行った

牛乳が搾りたてで普通の人が飲むと腹を壊す、取りたての野菜はそれはそれは新鮮で

朝夕の寒暖の差が激しいせいか甘みが強くて、実に旨かった

ここで一生を終わらせればよかったのに

やくざ達の借金の追及が殆ど無くなったのを機に

また帯広の歯医者の弟と仲良くなり、ハンバーガーチェーンを北海道に作ると

その友達の歯科医のお兄さんから億という金を引き出し

事業に又も失敗、池田町をまた逃げ出して、東京に舞い戻る

さすがに、家族もこんな人間についていけないと離散

それからは、一人で悪戦苦闘するがやれば借金を作り、また逃げ出す生活の繰り返し

そして最後は国に面倒を見てもらう生活保護者だ

人生は、長いレースだ

今日本は長寿国になって、年寄りが年金生活しているが

誰もが結構楽しい時間を過ごしている

若い頃から必死に働き、定年を迎え、第二の人生で年金と蓄えで楽しい生活を送る

兄貴も若い頃は絶頂であった時期もある

その頃夜空を指して「俺は、あの一番光っている星なんだよ。」と家族に威張っていたのを思い出す

私の兄弟皆に親の遺産相続を放棄させた

自分の家族も皆今でも名前やメルアドを隠したがる

こんな思いが、娘の報告に万感去来して涙したのだろう

皆に兄の娘を紹介しても、その後兄の消息を聞くものは皆無であった~~~



朝食  ご飯1膳、椎茸入りオムレツ、サツマイモの甘煮、納豆、焼海苔、小松菜とわかめの味噌汁、胡瓜の古漬けと蕪の糠漬け、煎茶、リンゴ

昼食  トースト2枚、ブルーベルー入りヨーグルト、ミルクティー、コロッケキャベツ添え、

夕食  ご飯1膳、豚の塩麹漬焼肉と焼き舞茸さやえんどう添え、南瓜のカレー風スープ、煎茶、ミカン、
画像


甘いもの 先日の13回忌に岐阜の従兄弟が持ってきた栗菓子
      緑屋老舗  栗玉しぐれ 栗金飩を求肥に包んだ竿物  この店の一番高級菓子らしい
画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック