叔母の死!!

昨日、一人で◯◯を面倒見ていたら

いきなり、従兄弟から電話が入った

「お~い、どうしたい。」と言うと「母が亡くなった。今朝、老衰だ。97歳で大往生だよ。」

叔母は確か大正3年生まれで、私の母の妹に当たり、私の父の弟と結婚した

戦時下、1女1男に恵まれたが、昭和19年に召集されあえなく戦死した

終戦後、大阪の浜寺で暮らしていたが

私共一家が朝鮮から引き揚げ、身を寄せたため

浜寺の長屋は、小さな2階だてであったが

そこに私の母と叔母、うちの子4人と叔母の子2人計8人が雑魚寝の状態で1年近く暮した

だから、この従兄弟は兄弟のようなものであり

叔母も母のような存在であった

身体は60代から足を悪くして歩けない状態であったが

元気に歩き回り、どこに行っても口うるさいうちの母と違って

物静かで、何時も微笑んでいる優しい人であった

足の不自由さから、母より先に逝くだろう想像していたが

動かないまま母より11年も長生きをし

体は不自由でも、頭脳明晰で、90を過ぎてもその記憶力の良さには呆れるばかりであった

浜寺から、父が鎌倉に家を買い、私が小学校2年生の秋に一緒に鎌倉に移った

それから、私達は半年後吉祥寺の母の叔父の家に移ったのだが

叔母家族は、鎌倉の家に残り、鎌倉で10年近く生活する

鎌倉は、由比ヶ浜と材木座海岸とに二分する滑川の横の海から2軒目の家だった

よく台風など来ると高潮で、家の前まで海の水が上がって来るほど海に接近した処で

この叔母家族がこの家を守ってくれていたので

我々家族の夏の避暑地として、夏になるとここで海遊びをして

全ての兄弟とその友人たちの夏のレジャー施設となった

何しろ、8畳間が6部屋、12畳の洋室が1つ、玄関入口が3畳間、風呂に御手洗いが2つという

洋室の上はベランダになっていて、夏の世の流れ星を見るソファーが置かれていた

そんな大きな家だったので、兄弟の友達が入り乱れて、夏は合宿所みたいなものであった

内の父の援助もあったが、洋裁が得意でご近所の縫い物をしては手間賃を稼ぎ

最後には、ブティックまがいに流行の洋服を仕立てて生計を立て、1女1男を立派に育てた

そんな叔母も老後は付きっ切りで上の娘が介助され、なに不自由なく幸せな生活のもと

昨日あの世へ旅立った

もうすぐ、母と会えるのを楽しみにしているだろう

11日お通夜、12日告別式だ、それから49日後、母や、そうそうご亭主とも会えるだろう

ご亭主とはあまりの長きにわたって再会だから

お互いに分かるかなあ~~~



朝食  ご飯1膳、ベーコンエッグレタス添え、タラコ、納豆、焼き海苔、蕪の味噌汁、煎茶、キュウリの糠漬け、リンゴ、ミカン

昼食  トースト1.5枚、餡パン半分、チーズ竹輪とスプラウトのサラダ、バナナ入りヨーグルト、ホット牛乳、コーヒー

夕食 ご飯1膳、焼き餃子16個、豆腐と白菜のとろみスープ、オクラ、胡瓜と大根の糠漬け、煎茶、粒餡饅頭、みかん
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